寸。二D变遷花十分仁注意L(、日本上L℃仕注意深<变遷在見在付九任?)主世人。先 )二上屯考之标付九任标)主世。LL标今老九东(任従来)日本D上℃书石道 花寸∽)变之℃<上、)二上仕、日本0利益C石、得策℃、二)考之石上 、)上、二九住名)寸心老C栓V匕V八)判断花住∽老)持∽℃進人C方石二上仕大心大心 申L上于℃书石通y℃)主寸6[6l。 (3)1957年12月-1960年7月岸信介内閣 [政策]支持推動擴大跟中國大陸的貿易,沒有否認”兩個中國”論的可能性,但是另一方面 強調日本承認中華民國的事實(強調所謂的”以德報怨”)77].美國国繞中國參加紅十字開羅 總會問題,美國也好像採用”兩個中國”政策,但是日本卻對中國大陸的態度改為更強硬的政 策. [兩個中國的意思]這段時期,中華民國和中華人民共和國都反對各國的”兩個中國”政策, 所以”兩個中國”變為反中共的意思.中華人民共和國政府指責日本政府有建立雨個中國的政 策. <岸信介的想法> 蒋介石氏、)队仁報百仁德花屯∽℃寸石上V)、一切D戰争中仁付石日本0行動 汇对℃、力九力九仕宽大众如置左∽C的石之v、宣言左、名九)↓(国民政府 上D間仁国交正常化寸石上V、)沿革花上∽℃老大二上仕、御承知D通)C)主寸.…私 ビ名仕、二)沿革上二D事美花全然無視L℃一∽)理論花立℃石上v、)二上仕、二九仕非 常仁現美私仕離九石毛DC志百上思主才。従∽℃、二D事夷住、石V仕一心二D 二○)中国上、)現夷D左亿言∽(二○)中国巴中标办上V、)理論电C老…問題左 ビ)解決寸石办上、)問題仕、中国自体解决寸心老中国内政問题℃石、解决志九大 二上E上2(左比L(<上、5二上屯一OD考之方℃西)主L上2…日本、直与亿中 国政府、中国人民共和政府上、)毛)花認的石上、可仕国際連合加入花認的百上 八)二上亿标石标6成、一体国民政府自身安保理事会D常任理事国℃∽℃、九D大 心一亿东∽℃书石、名九在之石上↓、)二上於二D国際連合仁加盟L℃书石多数D国) 意向℃石上)上、)上)东点泸全然主龙未解決D状熊℃、解決の方向寸6∽V℃扫 标V状况仁私仕石上思ま寸…結論上L℃仕、今D上二乃仁书V℃仕、ま)V、 政治的标闋係左開<心老C标L仁、貿易无D他関係仁书℃仕二九花增進L℃V、<心老 ℃石、二)思∽℃书石力付℃两)主才88l。 661956年3月8日、参議院予算委員会議事绿 77]戰後日本的保守派擁有對“以德報怨'的”感謝論”,可參考若宫啓文『戦後保守D了ヅ了 観』朝日選書541](朝日新聞社、1995年),賀屋興宣D『戰前·戰後八十年』(释济往来社、 1976年),林金莖『梅上楼-戦後D日華闋係』(少ヶ出版、1984年)。 88]1957年8月1日、参議院外務委員会議事绿す。この変遷を十分に注意して、日本としては注意深く変遷を見なければなりません。先 のこと も考えなければなりません。しかしながら今それならば従来の日本のとっておる道 をすっかり変えていくということは、日本の利益であるか、得策であるか、こ う考えると いうと、これはそうすべきでないという判断をはっきり持って進んでおることはたびたび 申し上げておる通りであります6[6]。 (3) 1957 年 12 月-1960 年 7 月 岸信介內閣 [政策] 支持推動擴大跟中國大陸的貿易, 沒有否認”兩個中國”論的可能性, 但是另一方面 強調日本承認中華民國的事實(強調所謂的”以德報怨”)7[7]. 美國圍繞中國參加紅十字開羅 總會問題, 美國也好像採用”兩個中國”政策, 但是日本卻對中國大陸的態度改為更強硬的政 策. [兩個中國的意思]這段時期, 中華民國和中華人民共和國都反對各國的”兩個中國”政策, 所以”兩個中國”變為反中共的意思. 中華人民共和國政府指責日本政府有建立兩個中國的政 策. <岸信介的想法> 蒋介石氏が、うらみに報いるに徳をもってするという、一切の戦争中における日本の行動 に対しても、われわれは寛大な処置をもってやるという宣言をし、それがひいて国民政府 との間に国交を正常化するという沿革をとってきたことは、御承知の通りであります. …私 どもは、この沿革とこの事実を全然無視して一つの理論を立てるということは、これは非 常に現実から私は離れるものであると思います。従って、この事実は、あるいは一応この 二つの中国という現実のなにから言って二つの中国じゃないかという理論もでき…問題を どう解決するかという問題は、中国自体が解決すべき中国の内政問題である、解決された ことによってなにしていくということも一つの考え方でありましょう…日 本が、直ちに中 国政府、中国人民共和政府というものを認めるとか、あるいは国際連合が加入を認めると いうことになるならば、一体国民政府自身が安保理事会 の常任理事国であって、それのメ ンバーになっておる、それをかえるということがこの国際連合に加盟しておる多数の国の 意向であるかどうかというような点が 全然まだ未解決の状態で、解決の方向すらついてお らない状況に私はあると思います…結論としては、今のところにおいては、まだそういう 政治的な関係を開くべきでなしに、貿易その他の関係においてはこれを増進していくべき である、こう思っておるわけであります8[8]。 6[6] 1956 年 3 月 8 日、参議院予算委員会議事録 7[7] 戰後日本的保守派擁有對“以德報怨’的”感謝論”, 可參考若宮啓文『戦後保守のアジア 観』[朝日選書 541](朝日新聞社、1995 年), 賀屋興宣の『戦前・戦後八十年』(経済往来社、 1976 年), 林金莖『梅と桜-戦後の日華関係』(サンケイ出版、1984 年)。 8[8] 1957 年 8 月 1 日、参議院外務委員会議事録