二O)中国仁∽老主L℃仗、中華民国西石仕中共政榷屯艳对反对匕言∽℃方石℃住二 八主世人。力九初九、第三国二人左問题℃結論花出寸上、)二上住、私住、外交 上下手标农)方C、中石心圭c标v上考之℃书)主寸1414 1962年9月 松村兼三(自民英随問)訪問北京會晤周恩來 1962年11月9日日中覺書貿易協定(準政府之間協定) 廖承志(華僑事務委員會主任)高碕達之助(原通產大臣) LT貿易協定,决定互相開殷貿易事務所 1963年10月周鸿慶事發生 1963年11月外務省國際資料部長<對國民政府政策>(至急/極機密) 国府上L℃住日本花<主C○办主之上书二)上寸石、(中略)の手仁住D6℃ 敬遠L℃书<二上於必要℃石。国府上D閱係花徐々仁疎遠化L℃书<必要上住二の二上 ℃石…梳治这九℃小百台湾人住国府人上全<異东∽大考之左持2℃石二上花忘九℃仕 在6在v15[15l。 1964年1月外務省的文書<應跟中華民國尉論的事项> 有關反攻大陸,「替否在問力九大場合、反对世这石在得… 有關貿易事務所,日本已經準備對中華民國說明事務所的規模.人員.身分等,很具體 的内容16[16l。 1964年2月21日到28日吉田茂訪台 蒋介石對吉田說最近国際間{仁中共花援助L、強化寸石二上仁大)、ソ連上離間世 L的(自由陣营側仁抱老达主人上才石考之方石、二九仕間違∽℃石。↓主二无中 共D潰减在計石心老艳好)時期℃志石 <一中一台論的出現> 日本外務省中國課的台灣觀 <台满人的地位和民主化> 二D上)在準戦時体制花L、同政府书上U同政府上共亿大陸6渡来L大250万上称世6 九石人口仁对L、台湾出身℃全人口狗1100万の内850万花占的石艳对多数の台湾人の存在 态)、二D面者D利害仕必于L毛一致L得公↓美情仁石。行政当局D責任石地位仁 屯台湾人仕極少数採用这九℃v、石仁過老扩、政治释済上)凳言榷仕殆封心九大恰好C 14[141961年9月29日、来議院本会議議事绿 15[151963年11月6日作成(日本外務省保存記绿2002年12月公開分0120-2001-00974) 16161964年1月17日作成、「中華民国政府上話合)心老事项(凳言要旨案)」(了y了局長作 成、日本外務省保存記绿、2002年12月公開分、0120-2001-01331)二つの中国につきましては、中華民国もあるいは中共政権も絶対反対と言っておるではご ざいませんか。われわれが、第三国がこんな問題で結論を出すということは、私は、外交 上下手なやり方で、やるべきでないと考えております14[14] 1962 年 9 月 松村謙三(自民黨顧問)訪問北京會晤周恩來 1962 年 11 月 9 日 日中覺書貿易協定(準政府之間協定) 廖承志(華僑事務委員會主任) 高碕達之助(原通產大臣) LT 貿易協定, 決定互相開設貿易事務所 1963 年 10 月 周鴻慶事發生 1963 年 11 月 外務省國際資料部長<對國民政府政策>(至急 / 極機密) 国府としては日本をあくまでつかまえとおこうとする、(中略)その手にはのらないで 敬遠しておくことが必要である。国府との関係を徐々に疎遠化しておく必要とはこのこと である…統治されている台湾人は国府人と全く異なつた考えを持っていることを忘れては ならない15[15]。 1964 年 1 月 外務省的文書<應跟中華民國討論的事項> 有關反攻大陸, 「賛否を問われた場合、反対せざるを得ない」… 有關貿易事務所,日本已經準備對中華民國說明事務所的規模.人員.身分等,很具體 的內容16[16]。 1964 年 2 月 21 日到 28 日 吉田茂訪台 蔣介石對吉田說 最近国際間に中共を援助し、強化することにより、ソ連と離間せ しめて自由陣営側に抱き込まんとする考え方があるが、これは間違っている。いまこそ中 共の潰滅を計るべき絶好の時期である <一中一台論的出現> 日本外務省中國課的台灣觀 <台灣人的地位和民主化> このような準戦時体制をし、同政府および同政府と共に大陸から渡来した 250 万と称せら れる人口に対し、台湾出身で全人口約 1100 万の内 850 万を占める絶対多数の台湾人の存在 があり、この両者の利害は必ずしも一致し得ない実情 にある。行政当局の責任ある地位に も台湾人は極尐数採用されているに過ぎず、政治経済上の発言権は殆ど封じられた恰好で 14[14] 1961 年 9 月 29 日、衆議院本会議議事録 15[15]1963年 11月 6日作成、(日本外務省保存記録、2002年 12月公開分、0120-2001-00974) 16[16] 1964 年 1 月 17 日作成、「中華民国政府と話合うべき事項(発言要旨案)」(アジア局長作 成、日本外務省保存記録、2002 年 12 月公開分、0120-2001-01331)