歴代①征夷大将軍 (源善仲以前仁、颗似寸呼称含七) 代 名前 在期問 備考 巨势麻呂 和解2年(709年 (镇東将軍) 静老4年(720年) (征夷将重) 多治比縣守 -餐老5年(721年) (征東将軍) 延3年(784年) 大件家持 延4年(785年) 中纳言春宫大夫陸奥按察使徒 二 纪古佐关 延膳7年(788年) (征東大将渾》 -延晋8年(789年) 延膳12年(793年) 史料飞0征夷大将菲0初兄 大伴弟麻呂 ,延13年(794年) 從四位下一三位、融二等 坂上田村麻呂 延曆16年(797年) 奥出羽按察使兼陸奥守四 位下→大言正三位 -大同3年(808年) 没後赠従二位 文屋绵麻呂 弘仁2年(811年) (征爽将軍) -弘仁7年(816年) 参借三位,参三位 藤原忠文 天度3年(940年) (征束将 参議正四位下一参議正四位下 (征束大将軍) 源義仲 元厝元年(1184年) 従四位下伊予守一従四位下伊 建久3年(1192年) 建久5年(1194年)辞任韵 队愈名之四上)上毛 面)。 源頫朝 ,正治元年(1199年) 正二位前格大纳言 谦合:2 建仁2年(1202年) 源類家 ,建仁3年(1203年) 徒二位左衡門督一正二位 律仁3年(1203年) 贷五位下一右大臣正二位左折 嫌含:3 源实朝 ,承久元年(1219年) 衡大将 摄家(藤原)将軍。九条道家 嘉禄2年(1226年) m子 嫌合:4 藤原 寬元2年(124年 正五位下右近衡棒少将一正二 位前棒大幼言 谦含:5 宽元2年(1244年) 贷五位上右折衡梅少将一三 藤原類嗣 ,建長4年(1252年 位左近衡中将 嫌含:6 建長4年(1252年】 皇族将承。後嵯峨天皇)皇子。 心力加儿九)习 ,文永3年(1266年) 三品→一品中務卿
歴代の征夷大将軍 (源義仲以前には、類似する呼称を含む) 歴代 名 前 在職期間 備 考 巨勢麻呂 和銅 2 年(709 年) (鎮東将軍) 多治比縣守 養老 4 年(720 年) - 養老 5 年(721 年) (征夷将軍) 大伴家持 延暦 3 年(784 年) - 延暦 4 年(785 年) (征東将軍) 中納言春宮大夫陸奥按察使従 三位 紀古佐美 延暦 7 年(788 年) - 延暦 8 年(789 年) (征東大将軍) 大伴弟麻呂 延暦 12 年(793 年) - 延暦 13 年(794 年) 史料での征夷大将軍の初見 従四位下→従三位、勲二等 坂上田村麻呂 延暦 16 年(797 年) - 大同 3 年(808 年) 陸奥出羽按察使兼陸奥守従四 位下→大納言正三位 没後贈従二位 文屋綿麻呂 弘仁 2 年(811 年) - 弘仁 7 年(816 年) (征夷将軍) 参議従三位→参議従三位 藤原忠文 天慶 3 年(940 年) (征東将軍) 参議正四位下→参議正四位下 源義仲 元暦元年(1184 年) (征東大将軍) 従四位下伊予守→従四位下伊 予守 鎌倉:1 みなもとのよりとも 源頼朝 建久 3 年(1192 年) - 正治元年(1199 年) 建久 5 年(1194 年)辞任の説 あり。 正二位前権大納言 鎌倉:2 みなもとのよりいえ 源頼家 建仁 2 年(1202 年) - 建仁 3 年(1203 年) 従二位左衛門督→正二位 鎌倉:3 みなもとのさねとも 源実朝 建仁 3 年(1203 年) - 承久元年(1219 年) 従五位下→右大臣正二位左近 衛大将 鎌倉:4 ふじわらのよりつね 藤原頼経 嘉禄 2 年(1226 年) - 寛元 2 年(1244 年) 摂家(藤原)将軍。九条道家 の子。 正五位下右近衛権少将→正二 位前権大納言 鎌倉:5 ふじわらのよりつぐ 藤原頼嗣 寛元 2 年(1244 年) - 建長 4 年(1252 年) 従五位上右近衛権少将→従三 位左近衛中将 鎌倉:6 むねたかしんのう 建長 4 年(1252 年) - 文永 3 年(1266 年) 皇族将軍。後嵯峨天皇の皇子。 三品→一品中務卿
宗尊親王 缣合:7 二九?寸L人) 文永3年(1266年) 従四位下一二品 惟康親王 -正比2年(1289年) 谦含:8 Uě击含6L人①) 正吃2年(1289年) 後深草天皇皇子 久期親王 -延慶元年(1308年) 三品→一品式部脚 含:9 延慶元年(1308年) ,正慶2年(133年) 不一二品 守邦载王 色)本LL九四)/志)在 元引3年(1333年) 建武:1 5L九0 二品兵部期一同为 護良親王 -建武元年(1334年) 建武:2 建武2年(1335年) 上野太守四品一同左 ,延元元年(1336年) 成良靓王 正二位栋大纳言一同左 方L加:上加3心 延元3年(1338年) 室町:1 赠徒一位左大臣·追赠太政大 足利尊氏 延文3年(1358年) 臣 南朝:1 L人D3 正平7年(1352年) 京良親王 参漾濮三位左近衡中将一正 室町:2 延文3年(1358年) 足利覆益 ,直治6年(1367年) 位桂大钠言 赠徒一位 従五位下左馬顾一准三宫徙 室可:3 筋儿加i本儿函一 直治6年(1367年) 位前左大臣 足利義满 -心永元年(1394年) 将单辞藏後、太改大臣 大花L(协L)L九 元中3年(1386年) 南朝:2 尹良親王 击儿加“上儿色与 正五位下左近衡中将→餐一位 店永元年(1394年) 密:4 足利装特 矓内大臣 -店永30年(1423年) 赠太政大臣 正五位下右近衡中将一参 室町:5 屯永30年(1423年) 足利義量 四位下右近衡中将 -它水32年(1425年) 赠筱一位左大臣 尹良载王(大龙儿L人0)、生年不群-龙永31年8月15日(1424年9月7日)止、南北朝时代: 室町時代D皇族℃宗良親王D第2皇子、後醒醐天皇D皇孫仁南上方。上龙L、江尸後期)浪合記仁灶北 的℃交)名州見克石宫飞备)、歷史学的住存在心疑周5苏局
宗尊親王 鎌倉:7 これやすしんのう 惟康親王 文永 3 年(1266 年) - 正応 2 年(1289 年) 従四位下→二品 鎌倉:8 ひさあきらしんのう 久明親王 正応 2 年(1289 年) - 延慶元年(1308 年) 後深草天皇の皇子。 三品 → 一品式部卿 鎌倉:9 もりくにしんのう 守邦親王 延慶元年(1308 年) - 正慶 2 年(1333 年) 不詳→二品 建武:1 もりよししんのう / もりな がしんのう 護良親王 元弘 3 年(1333 年) - 建武元年(1334 年) 二品兵部卿→同左 建武:2 なりよししんのう / なりな がしんのう 成良親王 建武 2 年(1335 年) - 延元元年(1336 年) 上野太守四品→同左 室町:1 あしかが たかうじ 足利尊氏 延元 3 年(1338 年) - 延文 3 年(1358 年) 正二位権大納言→同左 贈従一位左大臣・追贈太政大 臣 南朝:1 むねよししんのう/むねなが しんのう 宗良親王 正平 7 年(1352 年) 室町:2 あしかが よしあきら 足利義詮 延文 3 年(1358 年) - 貞治 6 年(1367 年) 参議従三位左近衛中将→正二 位権大納言 贈従一位 室町:3 あしかが よしみつ 足利義満 貞治 6 年(1367 年) - 応永元年(1394 年) 従五位下左馬頭→准三宮従一 位前左大臣 将軍辞職後、太政大臣 ただよし(ゆきよし)しんの う 尹良親王1 元中 3 年(1386 年) - 南朝:2 室町:4 あしかが よしもち 足利義持 応永元年(1394 年) - 応永 30 年(1423 年) 正五位下左近衛中将→従一位 前内大臣 贈太政大臣 室町:5 あしかが よしかず 足利義量 応永 30 年(1423 年) - 応永 32 年(1425 年) 正五位下右近衛中将→参議正 四位下右近衛中将 贈従一位左大臣 1尹良親王(ただよししんのう、生年不詳 - 応永 31 年 8 月 15 日(1424 年 9 月 7 日))は、南北朝時代・ 室町時代の皇族で宗良親王の第 2 皇子、後醍醐天皇の皇孫にあたる。ただし、江戸後期の浪合記にはじ めてその名が見える宮であり、歴史学的には存在に疑問がある
市L加5L四 参盖左近衡中将從四位下一徒 水享元年(1429年) 室町:6 足利卷教 -嘉吉元年(1441年) 一位前左大臣 赠太政大臣 市L加加女儿加) 正五位下左近衡中将一従四位 室町:7 嘉吉2年(1442年) 足利義勝 下左近衡中将 -嘉吉3年(1443年) 赠従一位左大臣 正五位下左馬原一准三宫 室町:8 足利義政 宝德元年(1449年) -文明5年(1473年) 位前左大臣 赠太政大臣 击L加:本儿心吉 贷五位下左近衡中将一従一位 文明5年(1473年) 室町:9 足利義尚 内大臣右近衡大将 延德元年(1489年) 赠太政大臣 延德2年(1490年) 室町:10 徒四位下右近衡中将一参議右 足利義材 ,明皮2年(1493年) 所衡中终得四位下 正五位下左与明一参盖徒三位 室町:山 足利義 明吃3年(1494年 永正5年(1508年) 左近衡中将 赠太政大臣 足利義材①再任。 永正5年(1508年) 室町:12 従三位梅大纳言一従二位棒大 足利義位 大水元年(1521年) 纳言 赠太政大臣徒一位 正五位下左馬頭一徙三位椿大 南儿加奶上儿局 大永元年(1521年】 室町:13 纳言右近南大将 足利義晴 -天文15年(1546年) 赠拼位左大臣 天文15年(1546年) 従四位下左馬頭一参議左近南 室町:14 足利 水禄8年(1565年 中将能四位下 一位左大 南儿:5上儿心 室:15 足利義米 永标11年(1568年) 從五位下左馬頭一同左 k11年(1568年 参漾左近衡中将徒四位下· 室町:16 足利義眠 天正16年(1588年 三位大幼言、将軍辞後 准三宫 促一位右大臣·能一位前右大 長8年(1603年) 江户:1 臣、将里辞碱後、太政大臣。 德川家康 -度长10年(1605年) 赠正一位 江户:2 上〈加打心飞上相 度長10年(1605年) 内大臣正二位右近衡大将一
室町:6 あしかが よしのり 足利義教 永享元年(1429 年) - 嘉吉元年(1441 年) 参議左近衛中将従四位下→従 一位前左大臣 贈太政大臣 室町:7 あしかが よしかつ 足利義勝 嘉吉 2 年(1442 年) - 嘉吉 3 年(1443 年) 正五位下左近衛中将→従四位 下左近衛中将 贈従一位左大臣 室町:8 あしかが よしまさ 足利義政 宝徳元年(1449 年) - 文明 5 年(1473 年) 正五位下左馬頭→准三宮従一 位前左大臣 贈太政大臣 室町:9 あしかが よしひさ 足利義尚 文明 5 年(1473 年) - 延徳元年(1489 年) 従五位下左近衛中将→従一位 内大臣右近衛大将 贈太政大臣 室町:10 あしかが よしき 足利義材 延徳 2 年(1490 年) - 明応 2 年(1493 年) 従四位下右近衛中将→参議右 近衛中将従四位下 室町:11 あしかが よしずみ 足利義澄 明応 3 年(1494 年) - 永正 5 年(1508 年) 正五位下左馬頭→参議従三位 左近衛中将 贈太政大臣 室町:12 あしかが よしたね 足利義稙 永正 5 年(1508 年) - 大永元年(1521 年) 足利義材の再任。 従三位権大納言→従二位権大 納言 贈太政大臣従一位 室町:13 あしかが よしはる 足利義晴 大永元年(1521 年) - 天文 15 年(1546 年) 正五位下左馬頭→従三位権大 納言右近衛大将 贈従一位左大臣 室町:14 あしかが よしてる 足利義輝 天文 15 年(1546 年) - 永禄 8 年(1565 年) 従四位下左馬頭→参議左近衛 中将従四位下、贈従一位左大 臣 室町:15 あしかが よしひで 足利義栄 永禄 11 年(1568 年) 従五位下左馬頭→同左 室町:16 あしかが よしあき 足利義昭 永禄 11 年(1568 年) - 天正 16 年(1588 年) 参議左近衛中将従四位下→従 三位権大納言、将軍辞職後、 准三宮 江戸:1 とくがわ いえやす 徳川家康 慶長 8 年(1603 年) - 慶長 10 年(1605 年) 従一位右大臣→従一位前右大 臣、将軍辞職後、太政大臣。 贈正一位 江戸:2 とくがわ ひでただ 慶長 10 年(1605 年) 内大臣正二位右近衛大将→従
德川秀忠 -元和9年(1623年) 一位右大臣右近衡大将、将重 辞雕筏、太政大臣。鹏正一位 内大臣 立右近衡大将一能 江:3 上(奶力t1克及 元和9年(1623年) 一位左大臣左近衡大将 德川家光 ,度安4年(1651年) 太政大臣宜下固辞。赠太政大 臣正一位 内大臣正二位右近衡大将一右 江户:4 慶安4年(1651年 延宝8年(1680年) 大臣正 二位右近南衡大将 德川家铜 赠太政大臣正一位 内大臣正二位右近衡大将·右 延宝8年(1680年) 江:5 德川吉 宝永6年(1709年 大柜正三右近高大将 赠太政大臣正一位 内大臣正二位右近衡大将一内 字永6在(1709年) 江P:6 -正德2年(1712年) 大臣正二位右近衡大将 德川家宜 赠太政大臣正一位。 上〈ih元 内大臣正二位右近衡大将一内 正德2年(1712年) 江户:7 大臣正二位右近衡大将 德川家笔 -享保元年(1716年) 赠太政大臣正一位 内大臣正二位右近衡大将一右 江户:8 上〈加打L心扫 享保元年(1716年) 大臣正二位 德川吉宗 ,延享2年(1745年) 腾太政大臣正一位 内大臣正二位右近痛大将一右 江P:9 上《折力克 延享2年(1745年 ,宝曆10年(1760年) 大臣正二位 德川家重 赠太政大臣正一位 内大臣正二位右折商大将→右 宝磨10年(1760年 江P:10 ,天明6年(1786年 大臣正二位右近衡大将 德川家治 赠太政大臣正一位 内大臣正二位右近衡大将→従 上〈亦打元 天明7年(1787年) 江户:1山 一位太政大臣 德川家齐 天保8年(1837年) 正一位 征一位左大臣左近衡大将一能 天保8年(1837年) 江P:12 上加力克上 一位左大臣左近衡大将 德川家魔 -嘉永6年(1853年) 腾太政大臣正一位 内大臣正二位右近衡大将一内 江户:13 《i力,无ě招 嘉水6年(1853年) 大臣徙一位右近衡大将 德川家定 -安玫5年(1858年) 赠太政大百正一位。 安政5年(1858年) 内大臣正二位右近衡大将一 江月:14 上《加力t:大专 一位右大臣右近衡大将 德川家茂 -慶2年(1866年) 赠太政大臣正一位 江月:15 慶2年(1866年 德川慶喜 -慶心3年(1868年) 明治時代、征一位公爵勲一等 旭日大最章
徳川秀忠 - 元和 9 年(1623 年 ) 一位右大臣右近衛大将 、将軍 辞職後、太政大臣。贈正一位 江戸:3 とくがわ いえみつ 徳川家光 元和 9 年(1623 年) - 慶安 4 年(1651 年 ) 内大臣正二位右近衛大将 → 従 一位左大臣左近衛大将 太政大臣宣下固辞。 贈太政大 臣正一位 江戸:4 とくがわ いえつな 徳川家綱 慶安 4 年(1651 年) - 延宝 8 年(1680 年 ) 内大臣正二位右近衛大将 → 右 大臣正二位右近衛大将 贈太政大臣正一位 江戸:5 とくがわ つなよし 徳川綱吉 延宝 8 年(1680 年) - 宝永 6 年(1709 年) 内大臣正二位右近衛大将 → 右 大臣正二位右近衛大将 贈太政大臣正一位 江戸:6 とくがわ いえのぶ 徳川家宣 宝永 6 年(1709 年) - 正徳 2 年(1712 年 ) 内大臣正二位右近衛大将 → 内 大臣正二位右近衛大将 贈太政大臣正一位。 江戸:7 とくがわ いえつぐ 徳川家継 正徳 2 年(1712 年) - 享保元年(1716 年 ) 内大臣正二位右近衛大将 → 内 大臣正二位右近衛大将 贈太政大臣正一位 江戸 : 8 とくがわ よしむね 徳川吉宗 享保元年(1716 年) - 延享 2 年(1745 年 ) 内大臣正二位右近衛大将 → 右 大臣正二位 贈太政大臣正一位 江戸:9 とくがわ いえしげ 徳川家重 延享 2 年(1745 年) - 宝暦 10 年(1760 年 ) 内大臣正二位右近衛大将 → 右 大臣正二位 贈太政大臣正一位 江戸:10 とくがわ いえはる 徳川家治 宝暦 10 年(1760 年) - 天明 6 年(1786 年 ) 内大臣正二位右近衛大将 → 右 大臣正二位右近衛大将 贈太政大臣正一位 江戸:11 とくがわ いえなり 徳川家斉 天明 7 年(1787 年 ) - 天保 8 年(1837 年 ) 内大臣正二位右近衛大将 → 従 一位太政大臣 贈正一位。 江戸:12 とくがわ いえよし 徳川家慶 天保 8 年(1837 年) - 嘉永 6 年(1853 年 ) 従一位左大臣左近衛大将 → 従 一位左大臣左近衛大将 贈太政大臣正一位 江戸:13 とくがわ いえさだ 徳川家定 嘉永 6 年(1853 年) - 安政 5 年(1858 年 ) 内大臣正二位右近衛大将 → 内 大臣従一位右近衛大将 贈太政大臣正一位。 江戸:14 とくがわ いえもち 徳川家茂 安政 5 年(1858 年) - 慶応 2 年(1866 年 ) 内大臣正二位右近衛大将 → 従 一位右大臣右近衛大将 贈太政大臣正一位 江戸:15 とくがわ よしのぶ 徳川慶喜 慶応 2 年(1866 年) - 慶応 3 年(1868 年 ) 正二位権大納言右近衛大将 → 内大臣正二位右近衛大将 明治時代、従一位公爵勲一等 旭日大綬章
赠旭日桐花大授章 出典:7y一百科事典【71牛人デ1了(Wikipedia)】
贈旭日桐花大綬章 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』